なぜ、僕は僕なのか?
その感覚に疑問を持ったことはありませんか?
科学では決して解明できない事…
それはアナタ自身だけが知る「あたりまえ」と思っている、その感覚なのです!
そう!
僕が感じているこの感覚は他の人も同じように感じているのだろうか?
その自分自身のみが知り得る感覚が「クオリア」といわれています。
自分自身がここにいて喜怒哀楽を感じながら記憶が刻みこまれていく…
「死んだらどうなるの?」と、得体の知れない恐怖に泣きながら幼少の頃の僕はお母さんに聞いた記憶がありますが…
お寺の娘であるにも関わらず、困った表情で答えられなかった母親!
…当たり前です。お釈迦さまでも「死んだらどうなるのか」については言及していませんし、アインシュタインやエジソンでも「死後の世界」の有無は証明していません。
自分自身の存在について科学的に証明することは不可能なのか?
(;´・ω・)
てな感じで「この感覚」について考察!
です、(゚д゚)(。_。)ウン
いきなり人生!なぜ僕なのか?
誕生日を迎えるたびにいつも思うことがあるんですよね…
はっぴばあすでぇとぅゆ~♪と皆で合唱、ろうそくの火を吹き消した後、ケーキを食べます。
フツーに考えればハッピーなバースデーを祝う和気あいあいとした素晴らしい光景でしょう。
しかし!
でも…
考えてみれば、大人になった頃の僕は「不思議なこと」に気がついてしまったのです!
「人間は始まりと終わりには記憶がない」ということです。
言い換えれば、産まれてきた時と死んだ時です。
産まれてきて何年かしてようやく「自分はここに存在しているんだ」と感じ、死の直前までは「自分はまだ生きているんだ」と感じることが出来るでしょうが…
死んだ直後に「自分は死んだ」という実感を得られることは無いのですよね、(;・∀・)
※死後の世界とか霊魂とかいう非科学的な概念についてはココでは触れません
映画館で例えれば、途中から入っていき、エンディング途中で眠ってしまい、そこで終了!
人生という映画…
何か分からんけど強制的に見せられている
しかも映画館内で永遠に眠ってしまいます
「始め良ければすべてよし」という諺(ことわざ)がありますが「終わり良ければすべてよし」という諺もあります。
人間の人生なんて「始め」も「終わり」も分からないから良くも悪くもないのでしょう。
僕の誕生日にはいつもそんなことを考えたりしてますw
ペコリ(o_ _)o))
まとめ「哲学と科学」
「心とは人間にだけに与えられた感覚なんですよ」
という人もいれば
「心の正体は脳みそ」
という人もいるでしょう。
前世とか死後の世界とかいうオカルトめいた信仰を抜きにしても…
なぜ、僕は僕なのか?
最後に、僕が感じた「この感覚」については、
このサイトさんが参考になります↓
哲学的な何か、あと科学とか
僕が子供の頃から疑問に感じていた「この感覚=クオリア」の正体が詳しく述べられています。
ちなみにこのサイトさんの管理人である飲茶さんは本も出しているのですよね。
書籍も楽しく読めます!
ここで語られる、ドラえもん「どこでもドア」のお話はこの本のクライマックスともいえるでしょう。
心とは何か?
脳とは何か?
の本質部分に迫っています!
(゚д゚)(。_。)ウン